90歳のつぶやき
「全国労保連」2007年11月号掲載
私の母、90歳。いたって元気である。掃除・洗濯、食事づくりと日々の暮らしを取り仕切り、身ぎれいにしている。特に料理は好きで、テレビ番組を参考にしては「これはどう?番組でやっていたの」と夕食に新メニューが並ぶ。新鮮な食材を求めて遠くまで、バスに乗って買い物にも行く。食事は3食きちんと食べるものと、信じて疑わない。
月に1〜2回は、趣味の俳句の吟行に出かける。都内の公園、庭園のたぐいはくまなく歩いているだろう。家では歳時記をめくり、句会の会場取りに奔走している。もっとも年相応の衰えはあり、重い物の買い物は苦手になった。耳が遠く電話を嫌がる。血圧降下剤は欠かせない。伝えたことも忘れている。居眠りをしていることも多い。でも我が母ながら、あっぱれである。
そんな母が最近、浮かない。
先日、俳句の仲間と須磨へ月見の句会に出かけた。大阪で仲間と合流すると言う。母が新幹線を使って1人で出かけることに、私は何の心配もなかった。むしろ自分でできることは、あれこれ世話をやかない方がいいと考えている。しかしまわりの人たちは「え〜、1人で行くの。大丈夫?」と皆、危ぐの念を示す。さらに俳句の仲間からも、事細かに道中のことや体調を気づかう連絡が頻繁に入る。そのつど母は、あからさまに不快の感情を表す。「みんなおせっかいねえ。迷惑かけるようだから行くのやめようかしら」。母にとってみれば、90歳といえども1人で旅行することに違和感はないし、できるのである。それをよってたかってまわりは大騒ぎし、心配をする。それがふに落ちず、腹立たしいのだろう。同時に、まわりにそんなに気を遣わせることなのかと、遠慮が働くようだ。さらに追い打ちをかけることがあった。
須磨から戻って、巻き爪治療に出かける母の運転手をつとめたときのこと。看護師さんも先生も、カルテを見て「えっ、お元気ですねえ」と大げさに驚く。母はそうした反応をサラッと受け流すことができず「またか」という顔をして仏頂面になる。内心「元気で何が悪いのよ」とつぶやいているだろうと、私も複雑な思いにかられた。
若いころと違うが、90を過ぎても母は普通の生活人である。しかし世間はそうとはとらえない。必要以上に感嘆し、褒めそやす。本人は、そんな大げさな扱われ方は不本意で、むしろバカにされたように感じ、居ずまいが悪いようだ。100歳以上の人が3万人を越えた今、老いてもなお元気な人を「特別扱い」することなく、さり気なく対応する心遣いを示したい。