見舞い、見舞われる
「全国労保連」2005年9月号掲載
22年前の8月3日。生まれて初めての手術をした。病名は、変形性股関節症。「入院は半年」という医師の言葉に、歩けるようになるだろうか、職場復帰出来るだろうか、心底気がめいった。
今年8月3日。友人が食道がんで手術をした。主治医から「声帯を切除しなければならないかもしれない。手術をしても生存率20%」と言われたほど深刻な状況だったが、そんな自分ときちんと向き合い、1日でも長く生きたいと願う友の姿勢に共感を覚えた。手術前の本人のメールには「いろいろ励ましのメールをもらうが(がんを克服するという強い意志をもって立ち向かって)とか(今やがんは治る病。深刻になる必要はありません)などと言われると、それが温かい励ましと分っていても、生存率20%と言われた身には、つらい」とあった。
そう言えば私も「大丈夫よ、歩けるようになるわよ」という見舞い客の、悪気はないが無責任とも思える言葉に、落ち込んだ記憶がある。見舞う側になってみると、早く元気になってくれることを願って言葉をかける。しかし当たり前の慰めに反発を覚え、うなずく顔が引きつることだって、ある。その人の心に届く慰めや励ましの言葉とは、なんと難しいことか。
一方自分の症状を告げる場合も、難しい。6年前、私は大腸がんの手術をした。主治医に告げられてすぐ職場に戻り、そのことを報告した。反応は3パターン。「がん?そんなことないよ。ポリープだろ?おれだってあるよ。そんなの大丈夫、大丈夫」と、本人ががんだと告げているのに否定し、やたら明るく反応する人。「え〜っ。そうですか、がんですか。どうかお大事になさってください」と、声のトーンがしだいに低くうなだれていく人。がんってたいへんなんだとあらためて知らされ、気を張っていた姿勢がなえる。「え〜っ。どうしてわかったの?どんな手術をするの。どのくらい入院するの」と、次々と質問を浴びせ根掘り葉掘り聞く人。これはありがたかった。何かと聞いてくれることによって会話が続き、気持ちがいやされ、落ち着いていくのである。
医療の進歩でがんは治癒することもあるが、やはりまだ怖いという思いが強い。それだけに見舞いに行く時は構えてしまう。どんな言葉をかけよう、どんな顔をしようと、気を使う。時にマナーの本を開いて参考にすることもあるだろう。患者が良い治療を受けるにはどうすればいいかという「患者学」には関心が出てきた。今や3人に1人はがんで亡くなる時代である。患者学だけでなく「見舞学」とでも言うべきことに、もっと関心をもちたいと思う。