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村田編集長のコラム集
2006年6月26日

満開に出会う

「全国労保連」2006年5月号掲載

「どちらから?」
「東京です。」
「良かったなあ。今日は最高だよ。東京から来る人はいつも早すぎてね、気の毒だ。」と、かつて自分の家が桜の前にあり、枝が屋根に覆いかぶさっていたという売店のおじさんは、自慢の桜の、最も良い時期に訪れた我々を喜んでくれた。(そりゃそうよ。毎日インターネットで情報とって満開に合わせてやってきたんだから。)という言葉を、慌ててのみ込んだ。
一度は訪れたいと願っていた、岐阜根尾谷の薄墨の桜。樹齢千数百年、品種はエドヒガンザクラ。
ピンクというより白に近く、花びらも小さい。枝はたくさんの支柱に支えられやっとの思いで手足を延ばしているという風情で、満開とはいえ花のつきは粗く、はじけるような力強さも派手さも、全く感じられなかった。しかし長い年月、枯死しそうになったり太い幹が折れたりと、様々な苦難に遭遇しつつも多くの人の努力で、今日まで生き延びてきた。今も、少しでも雪が降ると専属の樹木医と保存会の人が総出で、枝が折れないよう雪落としをするという。薄墨の桜は、そこに在るだけで価値があるのだ。そんな桜の満開の時に出会えて、きっといいことがあるだろうとうれしかった。花が散るころ、花が薄墨色に変化するということから、この名がついた。「あんまりきれいでないよ」とは、地元の人。よそ者が勝手に描いていた薄墨色のイメージの現実を知り、おかしかった。
私は富士山と桜が大好き。桜は散り際がいいと言う人もいるが、私は断然、満開の時がいい。しかしそれに出会うのはなかなか難しい。多分満開だろうとねらい定めて出かけて行っても、まだつぼみが固かったりすでに葉桜になっていたりと、これまでずいぶん失敗をしている。
それにしては今年は何と、各地で満開の桜に出会えたことだろうか。3月末は東京で。わざわざ花見に出かけなくても、買い物や仕事に出かけた途中で、また車の中からたんのうした。桜は咲いて(あ、ここにもあったんだ)とわかって見慣れた街が新鮮に写る。4月に入ってからは取材先の名古屋や大阪で。そのどちらも満開の時期に遭遇した。そしてフィナーレが、薄墨の桜であった。
もし花の色がもっと濃かったら、あるいはもっと白っぽかったら、こんなに皆に愛される花になっただろうか。もっと濃かったら、桜並木などはうっとうしい。もっと白かったらさびしいし、味わいにかける。その色合いの微妙なこと。自然がつくりあげたほのかな色合いの満開にこそ、私は魅力を感じる。

全国労保連 2006年5月号掲載(社団法人 全国労働保険事務組合連合会 発行)

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